なぜ日本型サラリーマンは“消耗戦”を強いられるのか(02)|外資・海外と比べて決定的に違う「仕事の設計思想」

日本で働いていると、多くの人が同じ感覚に行き着きます。
努力しているのに、なぜか楽にならない。
真面目にやるほど、なぜか消耗していく。

それは能力不足でも、根性の問題でもありません。
日本型の組織と働き方そのものが、**人を「消耗させながら維持される構造」**になっているからです。

このシリーズでは、
日本型サラリーマンが無自覚に巻き込まれやすい「消耗戦」の正体を、
感情論や精神論ではなく、思考と構造の視点から解剖していきます。

ここに書かれているのは、
頑張れば報われる話でも、前向きになれる処方箋でもありません。
この構造の中で、あなたはどこに立ち続けるのか。
その問いから、逃げないための連載です。

「頑張っているのに、なぜか常に不安が消えない」
「どこまでやれば終わりなのか、分からないまま走り続けている」

もしあなたが、そう感じているなら。
それは能力でも、覚悟でも、努力不足でもありません。

日本の職場に埋め込まれた、
致命的な「仕事の設計思想」そのものが原因です。


目次

私が境界線で見た、決定的な違い

私はこれまで、外資系企業と日本型組織、
両方の現場を20年以上行き来してきました。

その境界線に立ったとき、
個人の資質では説明できない、
ある決定的な違いが浮かび上がってきました。

それは、

「仕事をどう定義し、
どこで終わらせるか」という思想の違い

です。


外資・海外で徹底される「仕事の境界線」

外資系や海外の職場では、
仕事が始まる前に、必ず次の4点が定義されます。

  • 目的:何のためにやるのか
  • 範囲:どこまでが自分の仕事か(どこから先はやらないのか)
  • 責任:最終的に誰が決断するのか
  • 期限:いつ、この仕事は「完了」するのか

ここで重要なのは、
仕事が **「頑張り続けるもの」ではなく、
明確に区切られた「有限の資源」**として扱われている点です。

ゴールが決まっているからこそ、人は全力で走れる。
逆に、ゴールがなければ、全力は簡単に自滅へ変わります。


バジェット策定に表れる、設計思想の差

この違いが、最も露骨に表れるのが
翌年の目標を決める「バジェット(予算)策定」です。

外資系では、
マネジメントと現場の間で、
数値を巡る真剣勝負が行われます。

  • 現場は、データと現実を根拠に「実行可能な数値」を守る
  • 経営側は、戦略と論理で、より高い目標を提示する

互いに数字と根拠をぶつけ合い、
最終的に合意した数値は、
**「到達可能な地図」**として機能します。

一方、多くの日本企業ではどうでしょうか。

現場の一次情報が反映されないまま、
経営層の願望や空気感が、目標として降ってくる。

根拠のない数字は、戦略ではありません。
それは単なる **「強要」**です。


日本の美徳が、仕事を「無限化」する

日本の職場では、
善意や美徳とされる行動が、
皮肉にも消耗を加速させています。

  • とりあえず始めて、やりながら調整する
  • 気づいた人が、善意でカバーする
  • みんなで責任を分かち合う

一見すると、柔軟で協調的です。
しかし、その正体は、

仕事の境界線を消し、
仕事を無限化する仕組み

です。

終わりの定義されない仕事に、終わりはありません。
現場の人間が、自分の体力と時間を削って
システムの欠陥を補填し続けることで、
組織は「回っているように見える」だけなのです。


真面目な人ほど、システムの犠牲になる

「自分が休んだら、周りに迷惑がかかる」
そう思って無理を重ねる、その誠実さ。

実はそれこそが、
壊れたシステムを延命させる燃料になります。

あなたが倒れそうになりながら働くことで、
組織は「今のままでも回る」と誤解し、
構造改革を先送りにする。

あなたの疲労は、
組織の不作為を隠すためのコストとして消費されているのです。

過労死やうつが労災として認定されるのは、
これが精神論ではなく、
設計なき消耗戦が人を物理的に壊す証拠でもあります。


結論:あなたは、怠け者ではない

「もっと効率よくやればいい」
そう言う人もいるでしょう。

しかし彼らは、
たまたま負荷の少ない場所にいるか、
構造が見えていないだけです。

あなたは怠けているのではありません。
間違った設計の戦場で、
必死に生き残ろうとしているだけ
です。

次回は、
なぜ「真面目な人ほど」
この消耗戦から抜け出せなくなるのか。

心理と構造の両面から、
その呪縛を解き明かします。


玄水


コメント

コメントする

目次