約3ヶ月に一度、私はタイの土を踏む。 今週も、そのタイに来ている。
2000年代からこの地を訪れている者として、バンコクの街角で肌に触れる空気の変化を、単なる「物価高」という言葉で片付けることはできない。
そこにあるのは、かつての「イケイケ」なバブルの残り香ではなく、世界が再編された後の冷ややかな現実である。
1. サービスの変質というコストカット
長年、定宿としているホテルに変化が起きている。 今滞在している部屋の窓から外を眺めながら、私はこの数年の変容を反芻している。 宿泊料は上昇し続けているが、提供される価値は反比例するように削ぎ落とされている。
特に顕著なのが朝食だ。 料理の種類は目に見えて減り、一品ずつのクオリティもかつての水準にはない。 これはホテルの怠慢ではなく、凄まじいインフレ下で利益を確保するための「生存をかけたコストカット」の結果だろう。 かつて日本人が享受していた「安価で過剰なホスピタリティ」は、もはや持続不可能なモデルとなっている。
2. 「安さ」を前提とした戦略の崩壊
円安の影響は、日本人の精神的ゆとりを直接的に削り取る。 かつては手軽なリフレッシュ手段だったタイマッサージの価格は、今や日本の格安店と大差ない水準にまで達した。
「タイなら安く贅沢ができる」という前提は崩れ去った。 2000年代の出張者が持っていたような、現地の物価を背景にした「強者の余裕」はどこにもない。 街を行き交う外国人の顔ぶれも、その振る舞いも、かつての熱狂を失い、どこか慎重で、抑制的だ。
3. クレームではなく、構造の理解
私はこれを嘆いているわけではない。ましてやホテルや現地にクレームを言いたいわけでもない。 世界は常に動き、バランスを変え続けている。 単に、かつて日本という国が持っていた「買い負けない力」が相対的に低下し、グローバルなインフレの波に飲み込まれたという構造的事実があるだけだ。
「昔は良かった」と回顧することに、戦略的な価値は何一つない。
4. 変化への順応だけが「生存」を担保する
重要なのは、この変容した世界をどう受け入れ、どう立ち振る舞うかだ。
- 前提を捨てる: 「海外=割安」という旧時代のOSを削除する。
- 価値を再定義する: 安さという報酬が消えた後、この地で何を得るべきかを冷徹に再計算する。
- 個人の力を高める: 買い負ける通貨、沈みゆく経済圏に身を置きながらも、個として世界水準の価値を提供し続けられるか。
世界は変わりつつある。いや、すでに変わってしまった。 この冷酷な現実に順応し、思考をアップデートし続ける者だけが、次の時代も静かに生き残る。
過去の楽園を探すのはもうやめだ。 今ある条件下で、いかに合理的に生き残るか。 それだけを考えればいい。
玄水
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