なぜ人は「静かに退職」するのか (第0話)|「静かに退職」は怠慢ではない ── 人が仕事から静かに距離を取り始めた本当の理由

連載記事:なぜ人は「静かに退職」するのか ─ 会社に期待しなくなった時代を生んだ8つの構造変化(全10話)

今、世界中で「静かに退職(Quiet Quitting)」という言葉が、静かながらも確実に広がっている。

それは、辞表を出すことではない。会社に籍を置き、給与を受け取り続けながら、契約で定められた最低限の業務のみを遂行し、それ以上の努力・情熱・時間的投資を意図的に引き上げる働き方、あるいはその心理状態を指す。

米国のSNSを起点に拡散したこの概念は、日本においても無視できない規模で可視化されている。

その行動原理は、驚くほど合理的で、そして冷静だ。

  • 割り切り:契約外の仕事は引き受けず、定時と同時に仕事の人格を消す。
  • 低関与:会議では必要以上に語らず、改善提案や主体的関与を自ら差し出さない。
  • 現状維持:昇進や評価という不確実な報酬に賭けず、責任の拡張を避ける。
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矮小化され続ける「本質」

世の中で語られる「静かに退職」論は、多くの場合、次の三点に収斂していく。

  • 会社批判論:「ブラック企業だから」「評価制度が歪んでいるから」と、原因を組織の欠陥に帰属させる。
  • 若者論・怠慢論:「今の若者は根性がない」「努力を嫌う世代だ」と、個人や世代の資質に還元する。
  • メンタル論:バーンアウトや心理的疲弊として、医学・心理の枠内で処理する。

私は、これらの指摘そのものを否定しない。だが、それだけでは決定的に足りない。

なぜなら、それらはすべて**「結果の説明」であって、「原因の説明」ではない**からだ。

本質は、もっと残酷で、もっと構造的だ。

人が怠けるようになったのではない。働くことに意味を見出すための前提条件そのものが、社会の側から静かに撤去されたのである。

「静かに退職」を生んだ8つの構造変化

かつて私たちは、「全力で働けば、見返りがある」「会社に尽くせば、人生は安定する」という物語を、ほとんど疑いなく共有していた。

では、その物語はなぜ、ここまで急速に崩壊したのか。

本連載では、「静かに退職」を個人の性格や会社の善悪に矮小化せず、以下の8つの構造変化として捉え直す。

  1. 会社要因(相対化):会社が人生を支える主体ではなくなったという、雇用契約の変質
  2. 生成AI:「努力」や「熟練」の価値を一瞬で無効化する技術の出現
  3. 逆グローバル化:努力しても世界が広がらない時代の到来
  4. 労働所得の限界:給与だけでは資産形成が成立しないという現実
  5. 時間と娯楽:仕事とSNS・娯楽が可処分時間を奪い合う構造
  6. 副業・複線化:帰属先を一社に置かない生存戦略の一般化
  7. 家族・責任の変化:結婚・扶養という最大の労働動機の希薄化
  8. 価値観の再定義:欲望の縮小と、消費社会からの静かな離脱

これは「個人の問題」ではない

本連載の立場を、ここで明確にしておく。

「静かに退職」は怠慢ではない。特定の会社だけが悪いわけでもない。

これは、逃れようのない時代構造の変化に対して、人が取り始めた適応行動である。

精神を壊さずに生き延びるため、仕事への期待値を意図的に下げ、主導権を手放す──その選択は、合理的でさえある。

だが、選択肢はそれだけではない。

仕事から完全に距離を取るのでも、全力で消耗し続けるのでもなく、壊れずに、主導権を手元に残したまま生きる道も存在する。

私は22年間の外資系企業で、その後者──「静かな生存戦略」を実践してきた。

構造を知り、過剰に期待せず、しかし絶望もしない。淡々と、自分の守備範囲を見極め、奪われないように生きる。

この連載では、そのための思考の地図を、全9回にわたって提示していく。


玄水


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