日本で働いていると、多くの人が同じ感覚に行き着きます。
努力しているのに、なぜか楽にならない。
真面目にやるほど、なぜか消耗していく。それは能力不足でも、根性の問題でもありません。
日本型の組織と働き方そのものが、**人を「消耗させながら維持される構造」**になっているからです。このシリーズでは、
日本型サラリーマンが無自覚に巻き込まれやすい「消耗戦」の正体を、
感情論や精神論ではなく、思考と構造の視点から解剖していきます。ここに書かれているのは、
頑張れば報われる話でも、前向きになれる処方箋でもありません。
この構造の中で、あなたはどこに立ち続けるのか。
その問いから、逃げないための連載です。
日本社会には、あまり語られない静かな逆説があります。
それは、**「真面目な人ほど、消耗していく」**という現実です。
努力を惜しまない人
周囲への配慮を欠かさない人
責任を引き受け、仕事をきちんと終わらせようとする人
そうした人ほど、いつの間にか疲弊し、
立ち止まり、時に心身を壊していく。
これは性格の問題ではありません。
日本型の仕事は、真面目さを報酬ではなく“燃料”として消費する設計になっているのです。
真面目な人が「無名な存在」になる構造
日本の職場で、真面目な人は次のように行動します。
- 曖昧な指示を「空気を読んで」補完する
- 誰も拾わない仕事を引き受ける
- トラブルの芽を事前につぶす
- 周囲が困らないよう、自分の負荷を後回しにする
その結果、仕事は円滑に進みます。
大きな問題は起きません。
しかし、日本型組織では
「問題が起きなかったこと」は、ほとんど評価されません。
評価されるのは、
- 目に見える成果
- 表面化したトラブルへの対応
- 分かりやすい成功や失敗
防がれた失敗、回避された混乱、
静かな努力は、記録にも記憶にも残りにくい。
こうして真面目な人は、
組織にとって極めて「便利」な存在になります。
便利であるがゆえに、
代替され、使われ、名前の出ない存在になる。
真面目な人は、
無名なヒーローとして消耗戦に組み込まれていくのです。
「やらない仕事」が決められていないという問題
外資系や海外の職場では、
仕事の境界線が比較的はっきりしています。
- 職務範囲
- 責任の所在
- 成果の定義
これらが明確なため、
「自分の仕事ではないこと」を引き受けない判断が
個人の冷たさではなく、設計上の前提として存在します。
一方、日本の職場では、
- 担当が曖昧
- 境界が溶けている
- 「誰かがやるだろう」が放置される
その結果、
真面目な人が“空白”を埋め続けることになります。
ここで重要なのは、
これは倫理や性格の差ではない、という点です。
「やらない仕事」が設計されていない環境では、
やらない人ではなく、やる人が損をする。
その仕組みが、
真面目な人を静かに消耗させます。
「断らない人」が組織の歪みを引き受ける
日本型組織では、
「断らない人」が組織の歪みを吸収します。
誰かが無理をすることで、
誰かが無理をしなくて済む。
誰かが黙って引き受けることで、
構造の欠陥が表に出ない。
こうして、
- 問題は個人の努力で覆い隠され
- 仕組みは改善されないまま維持される
消耗している本人だけが、
「自分が足りないのではないか」と悩み続けます。
これは、
努力が報われないのではなく、
努力が構造維持に使われてしまう設計です。
消耗は、あなたの欠陥ではない
もしあなたが今、
- 頑張っているのに楽にならない
- いつも余力が残らない
- 自分だけが無理をしている気がする
そう感じているなら、
その違和感は正しい。
あなたの真面目さは、本来、
守られ、評価され、報われるべき資質です。
消耗しているのは、
あなたの能力や意志が弱いからではありません。
その真面目さが、
改善されない仕事設計を支える“静かな犠牲”に
変換されているだけなのです。
次回は、
日本型組織に深く組み込まれた
「空気を読む力」が、なぜ人を消耗させるのかを取り上げます。
善意や配慮が、どのようにして個人を追い詰めていくのか。
心理と構造の両面から掘り下げていきます。
玄水
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