日本で働いていると、多くの人が同じ感覚に行き着きます。
努力しているのに、なぜか楽にならない。
真面目にやるほど、なぜか消耗していく。それは能力不足でも、根性の問題でもありません。
日本型の組織と働き方そのものが、**人を「消耗させながら維持される構造」**になっているからです。このシリーズでは、
日本型サラリーマンが無自覚に巻き込まれやすい「消耗戦」の正体を、
感情論や精神論ではなく、思考と構造の視点から解剖していきます。ここに書かれているのは、
頑張れば報われる話でも、前向きになれる処方箋でもありません。
この構造の中で、あなたはどこに立ち続けるのか。
その問いから、逃げないための連載です。
「とりあえず会議で決めましょう」
この一言が、日本のサラリーマンを
終わりのない残業と疲弊のループへと引きずり込みます。
会議は本来、
意思決定を加速させ、仕事を前に進めるための手段であるはずです。
しかし多くの日本型組織では、
会議そのものが仕事を止め、奪い、消耗させる装置へと変質しています。
なぜ、あなたの仕事は会議のせいで進まないのか。
それは能力や姿勢の問題ではありません。
会議の設計そのものが、機能不全を起こしているのです。
「思いつき」で開催される会議の高すぎるコスト
日本の職場で頻発するのが、
リーダーの**「思いつき」**による会議招集です。
- アジェンダが曖昧
- 目的が共有されていない
- 事前準備がない
突然呼び出された参加者は、
考えを整理する時間もなく着席し、
そのまま時間だけが消費されていきます。
そして多くの場合、結末はこうです。
「今日は結論を出せないので、次回また」
一方、外資系企業の会議には、
徹底した**「型」**があります。
- 開始・終了時間の厳守
- 議題ごとの持ち時間を明示
- 決定事項と担当者を事前に設定
- 資料は事前共有、読み上げは禁止
議論は「理解」ではなく、判断から始まります。
ここまで厳密なのは、
会議を極めて高コストな投資と捉えているからです。
参加者全員の人件費。
その時間、止まっている実務。
それだけのコストを払ってでも開催する価値があるのか。
この問いが、常に前提に置かれています。
「責任分散」のために人を集める日本型会議
日本の会議が無駄に大人数になる理由は、ほぼ一つです。
責任を分散するため。
- 「あの部署も出席していた」
- 「全員で合意した」
こうした免罪符を作るために、
直接関係のない人まで招集されます。
その結果、
- 発言者は減り
- 議論は拡散し
- 意思決定は遅れる
という、最悪の循環が生まれます。
外資系では原則、
意思決定に必要なコアメンバーのみが招集されます。
参加するか迷う場合は「Optional(任意)」扱い。
不要と判断すれば、断ることも珍しくありません。
会議に出ることが仕事ではない。
成果を出すことが仕事だからです。
日本特有の儀式:「根回し」と「追認」
日本型組織を象徴するのが、
会議前にすべてが決まっている「根回し文化」です。
事前に関係者の同意を取り付け、
本番の会議は単なる公式な追認の場になる。
本来、議論のためにあるはずの会議が、
既定路線を確認するだけの儀式に堕しています。
そこでは、
- 反対意見は出ない
- 新しい視点も生まれない
- 責任の所在も曖昧なまま
時間とエネルギーだけが、静かに消費されていきます。
抜け出せない「消耗ループ」の正体
無計画な会議が蔓延する組織では、
次の負の連鎖が必ず発生します。
- 会議で日中の実務時間が消える
- 実務が終わらず、残業で補う
- 残業調整のため、さらに会議が増える
これは仕事ではありません。
従業員の集中力と人生の時間を削る、
構造的な消耗装置です。
生産性は上がらず、
コストだけが積み上がっていく。
このループを断ち切らない限り、
日本型組織の疲弊は止まりません。
結び:「その会議、本当に必要ですか?」
会議が多いのは、
あなたの仕事が重要だからではありません。
組織が、
決める勇気と責任を放棄しているからです。
「その会議、本当に必要ですか?」
この問いを持つことが、
日本型サラリーマンが消耗から距離を取るための、
最初の防衛線になります。
次回予告
次回は、
評価制度が「成果」ではなく
「耐久力」を競わせる構造について掘り下げます。
なぜ、長く苦しんだ人ほど評価され、
効率よく成果を出した人ほど報われにくいのか。
引き続き、構造の視点から解き明かしていきます。
玄水
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