なぜ日本型サラリーマンは“消耗戦”を強いられるのか(08)|評価制度が「耐久力」を競わせるという狂った設計

日本で働いていると、多くの人が同じ感覚に行き着きます。
努力しているのに、なぜか楽にならない。
真面目にやるほど、なぜか消耗していく。

それは能力不足でも、根性の問題でもありません。
日本型の組織と働き方そのものが、**人を「消耗させながら維持される構造」**になっているからです。

このシリーズでは、
日本型サラリーマンが無自覚に巻き込まれやすい「消耗戦」の正体を、
感情論や精神論ではなく、思考と構造の視点から解剖していきます。

ここに書かれているのは、
頑張れば報われる話でも、前向きになれる処方箋でもありません。
この構造の中で、あなたはどこに立ち続けるのか。
その問いから、逃げないための連載です。

「成果主義に移行しました」

日本の企業で、こう説明される場面は珍しくなくなりました。
しかし現場に身を置く多くのサラリーマンは、薄々こう感じているはずです。

――何も変わっていない、と。

表向きは成果主義。
実態は年功序列を土台に、曖昧な「プラス評価」が上乗せされるだけ。
そしてこの上乗せ部分こそが、日本型サラリーマンを最も消耗させています。

現在の日本の評価制度は、
もはや成果を測る仕組みとは言い難い。

実質的には、
**「どれだけ削られても壊れずにいられるか」**を競わせる
耐久力コンテストへと変質しているのです。


目次

消耗耐性コンテストの「3つの競技種目」

成果が見えにくい組織では、
評価軸は必ず歪みます。

「結果」ではなく、
「姿勢」「我慢」「空気」が評価対象になるからです。

種目①:どれだけ遅くまで会社に残れるか

滞在時間が長いほど「頑張っている」と見なされる。
仕事が終わっているかどうかは、ほとんど関係ありません。

こうして生まれるのは、
生産性とは無縁の居残り合戦です。

種目②:どれだけ「忙しそう」に振る舞えるか

「忙しい」「余裕がない」と口にし、
常に疲弊している様子を演出する。

それだけで
「あの人は仕事を抱えている」
「大変そうだ」
という評価が付く。

質の高いアウトプットよりも、
演じられる忙しさの巧拙が評価を左右する構造です。

種目③:どれだけ文句を言わずに耐えられるか

日本の職場では、「和を乱さないこと」が重視されます。
しかしそれは、必要な指摘や改善提案まで封じ込める方向に働きがちです。

正論を言う人ほど「扱いづらい」とされ、
何も言わずに耐える人だけが「評価される側」に回る。

これは美徳ではありません。
沈黙を強いる設計ミスです。


外資系企業の「冷たく見えて、実は合理的な」評価軸

外資系企業の評価制度は、驚くほど単純です。

  • 目標を達成したか
  • 数字を出したか
  • 価値を生み出したか

基本はこれだけ。
プロセスはあくまで補足情報に過ぎません。

重要なのは、
評価基準が事前に明示されていることです。

プロセスを評価する場合ですら、
それは可能な限り数値化されます。

私が勤める外資系企業でSalesforceを導入した際も、

「週◯件以上の入力」

という具体的なKPIを設定し、
評価やボーナスに直結させました。

プロセスを評価しているのではありません。
測定可能な行動を評価しているのです。


「効率化すると評価が下がる」という日本特有の逆転現象

日本の評価制度が生む最大の悲劇は、ここにあります。

効率よく仕事を終わらせた人ほど、損をする。

早く終えれば「余裕がある」と判断され、仕事を追加される。
一方、要領が悪く残業する人は「頑張っている」と評価される。

この環境で、
本気で成果を出そうとする人がどうなるか。

やる気を吸い取られ、
静かに消耗していきます。

そして最終的に、
この構造に耐えられない優秀な人材から会社を去っていく。

これは偶然ではありません。
制度が生み出す必然です。


結び:評価制度は、人を削るための装置ではない

日本の評価制度は、
建設的な競争を促すものになっていません。

誰が一番長く耐えられるかを競わせる、
精神的・肉体的な耐久テストになっています。

評価とは本来、
価値を生み出した人を正しく認識し、
再現性のある成果を増やすための仕組みのはずです。

人を削り、沈黙を強い、
消耗を美徳にする制度は、
もはや評価ではなく搾取の設計と言えるでしょう。


次回予告

次回は、
「失敗できない社会」が、なぜ挑戦する意欲そのものを奪っていくのか。

日本型組織に深く根付いた
「失敗=罪」という発想が、
どのように人と組織を硬直させているのかを掘り下げます。


玄水


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