外資系企業での仕事は、圧倒的な裁量を与えられる反面、常に「孤独な決断」を迫られる戦場でもあります。
実績を出せば報われる。しかし、その裏には冷徹な現実が横たわっています。22年間のキャリアの中で、私が身をもって、時に痛みを伴いながら学んだのは**「たった一言の誤り、たった一つの判断ミスが、築き上げてきたものを一瞬で崩壊させる」**という事実です。
「済んだことだから、くよくよしても仕方ない」 自己啓発書にはよくそう書かれていますし、メンタルを保つ上では一理あります。しかし、ビジネスの最前線において、それは決して「忘れていい」「反省しなくていい」という意味ではありません。一つのミスが招く破滅の足音を、私たちは常に耳の奥で聞いておく必要があります。
『詩経』が説く、プロフェッショナルの条件
中国最古の詩集『詩経』に、私が折に触れて反芻する言葉があります。
「戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、深淵に臨むがごとく、薄氷を踏むがごとし」 (恐れ慎んで、深い淵の縁に立つように、また春の薄い氷の上を歩くように、細心の注意を払うこと)
若い頃の私は、知識としてこの言葉を知ってはいても、その真の恐ろしさを理解できていませんでした。「勢い」や「若さ」で押し切れた場面も多かったからです。
しかし今、マネジメントの重責を担い、キャリアの終盤が見えてきた年齢になって、ようやく腑に落ちました。このヒリヒリするような感覚こそが、長く第一線で生き残るための「一丁目一番地(最も重要な基本)」なのです。
ベテランの足をすくう「慣れ」という名の魔物
なぜ、経験豊富なベテランになっても「薄氷を踏む」思いが必要なのでしょうか。
それは、仕事における最大の敵が「無知」ではなく「慣れ」だからです。どんなに気心の知れた取引先でも、何度こなした定型業務でも、自分の中に「これくらいでいいだろう」「言わなくても伝わるだろう」という慢心が生まれた瞬間、足元の氷は音を立てて割れます。
何気なく送信したメールの一言が、取り返しのつかない誤解を生む。 「まあいいか」と見過ごした小さな違和感が、後で巨大なコンプライアンス違反となって牙を剥く。
痛い目を見てから「あの時、もう少し慎重になっていれば」と後悔しても、時間は絶対に巻き戻せません。だからこそ、自分の経験値に胡座をかかず、常に足元の氷の厚さを問い直す「精神の張り」が求められるのです。
臆病なのではない。仕事への「誠実さ」の証明である
誤解していただきたくないのですが、この姿勢は決して「リスクに怯えて臆病になれ」「何も決断するな」ということではありません。
物事に対して、対峙する相手に対して、そして何より自分自身の仕事に対して、「最大限の敬意を払う」という誠実さの表れなのです。
「深淵に臨む」ような極限の緊張感を持って準備をするからこそ、暗闇に潜む致命的なリスクを事前に回避できます。そして同時に、「ここしかない」という一瞬の勝機(チャンス)を見逃さず、大胆に掴み取ることができるのです。真の果断さは、極限の慎重さの上にしか成り立ちません。
結び:残りのキャリアを、この一歩とともに
私の職業人生も、無限ではありません。いや、残り少なくなってきたからこそ、毎朝パソコンを開く前に、この言葉を自分に言い聞かせています。
今日踏み出すこの一歩は、薄氷ではないか。 画面の向こうにいる相手に対して、深い淵に臨むような真剣さで対峙しているか。
日々、ギリギリの決断を迫られている同世代のビジネスパーソン、そしてこれから修羅場を迎える若い世代へ。この記事を通じて、この「心地よい緊張感」をシェアできれば幸いです。
研ぎ澄まされた慎重さは、必ずやあなたを守り抜く「最強の武器」になります。
玄水
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