「トヨタがタイから撤退する」——そんな噂が業界関係者の間でまことしやかに囁かれている。しかし、これは事実ではない。
実際に起きていることは、それよりはるかに複雑で、日本の製造業にとっては撤退よりも深刻な構造変化だ。私は長年、タイの自動車関連サプライヤーと取引を続けてきた。その現場で今、何が起きているのかを率直に書く。
スズキ・スバルは撤退、しかしトヨタは残る
まず事実関係を整理する。
タイから製造拠点を撤退・縮小したのは、スズキとスバルだ。スズキはタイ工場をフォードに譲渡し、スバルは現地生産を終了して日本からの輸出に切り替えた。日産もタイ工場の一部閉鎖を決定している。
一方、トヨタはタイ市場に残る。2025年には最安値のハイブリッド車を投入し、シェアを微増させながら首位を維持している。撤退どころか、2028年に向けた新型電動車の投入計画も進行中だ。
ではなぜ、私のタイの顧客企業——トヨタの下請けメーカー——は今、生産ラインを閉鎖し、我々に価格協力を求めてきているのか。
トヨタが仕掛けた「静かな革命」
答えは、トヨタ自身の調達戦略の転換にある。
日本経済新聞の報道によれば、トヨタはタイ工場で中国部品メーカーからの本格調達を2028年の新型車投入に向けて開始する方針を打ち出した。中国製部品は日系より2〜3割安い。トヨタは「コストを従来より3割削減」という目標を掲げており、その手段として、長年の日系サプライヤーを中国製部品で代替する選択肢を明確に示した。
具体的には、タイの有力部品メーカーであるサミット・グループに対して、中国の内装材大手との合弁会社設立を主導。金型や樹脂材料でも中国企業の採用を取引先の日系部品会社に積極的に働きかけている。
これは「トヨタがタイを見捨てた」のではない。**「トヨタがタイで、日系サプライヤーを見捨て始めた」**という話だ。
現場で起きていること
私が実際に取引先から聞いている話を書く。
あるトヨタ系の下請けメーカーは、こう言った。「2028年までにコスト競争力のある部品を供給できなければ、タイから撤退せざるを得ない」。そして我々に対して、材料費の価格協力を求めてきた。
同時に、別の動きもある。タイに新工場を設ける中国系メーカーから、我々に対して「一緒にやらないか」という打診が来ている。日系の顧客が減る中、中国系の新規参入企業が我々のような素材・材料サプライヤーに接触してきているのだ。
これが今のタイ製造業の現実だ。日系は防衛戦、中国系は攻勢——その両方から、我々は同時に引っ張られている。
なぜここまで変わったのか
背景には、タイ自動車市場全体の急変がある。
かつて9割近かった日本車のシェアは、2025年時点で71%まで低下した。中国EVメーカーが16%のシェアを獲得した。BYDをはじめとする中国メーカーは政府補助金とASEAN・中国間のFTA(関税ゼロ)を武器に、価格面で日本車を圧倒している。
タイ全体の新車販売台数も2024年に前年比26%超の大幅減となり、業界全体が縮小する中でコスト競争は一段と激しくなっている。
「撤退か残留か」より重要な問い
「トヨタはタイに残るか撤退するか」という問いは、実はあまり本質的ではない。
本当の問いはこうだ。「日系サプライヤーは、トヨタがタイに残っても、生き残れるのか」。
トヨタが残ることと、日系サプライヤーが生き残ることは、もはやイコールではない。トヨタ自身が、コスト競争力のある中国製部品への切り替えを進めているからだ。
20年以上、タイを含む東南アジアの製造業の現場を見てきた立場から言えば、これは単なる価格競争ではない。日本の自動車産業が長年かけて築いてきた「系列」という構造そのものが、今、根底から問い直されている。
その答えは、2028年の新型車投入のタイミングで、ある程度見えてくるだろう。
玄水
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