私がキャリアをスタートさせた1990年代には、「愛社精神」や「企業戦士」といった言葉がまだ現役で機能していた。組織への忠誠心はビジネスパーソンにとって一種の美徳であり、それを語ること自体に何の違和感もなかった時代だ。
しかし2026年の今、外資系の現場はもちろん、ジョブ型雇用へとシフトしつつある日系企業の最前線でも、そうした言葉を耳にすることはほとんどなくなった。
では、現代のビジネスパーソン、特に外資系で働く人間には「愛」がないのか? 私は、そう単純な話ではないと思っている。
私自身、このブログや現場で「会社愛」を語ることは一切ない。だがそれは、冷笑主義や組織への諦念からではない。組織というものの「冷徹な現実」を理解したうえでの、自分の仕事に対する敬意に基づく選択である。
1. 会社は「舞台(ハード)」であり、従業員は「演者」である
会社と愛(ロイヤルティ)という概念をどう捉えるべきか。私は長年の経験から、次のように整理している。
- 会社とは: 舞台(ハードウェア)
- 従業員とは: 演者
- 愛とは: その舞台で演じた時間から生まれる、自身の経験への感情
演者が舞台に立っている時間は、間違いなくその人の人生の一部だ。良い経験をし、困難を乗り越え、誇れる仕事ができたなら、そこに肯定的な感情が生まれるのは自然なことだろう。
ただし、私はそれを「会社愛」とは呼ばない。 私は、この優れた舞台(リソースや看板)を使わせてもらえることに深く感謝し、その対価として、自身の最高のパフォーマンスを提供する。プロフェッショナルとしての関係は、ただそれだけで完全に完結している。
そこに「愛」や「恩義」、あるいは「恨み」といった情緒を持ち込むと、いつの間にか思考に「甘え」が生まれ、仕事の質と決断を鈍らせる。私はその恐ろしさを、現場で嫌というほど見てきた。
2. 「家」ではなく「一時的な場所」という残酷な事実
共に舞台に立つ同僚は、尊敬すべきパートナーだ。観客である顧客には、ただ感謝しかない。
しかし、長く同じ舞台に立って成果を出し続けていると、多くの演者がそこを「自分の居場所」や「自分の家」だと錯覚し始める。これが悲劇の始まりだ。
現実は違う。演者は、いつか必ずその舞台を去る。 プロジェクトの終了、ポジションの消滅、あるいはより良い条件での移籍。理由は様々だが、それは裏切りでも悲劇でもない。ただのビジネスの構造であり、資本主義の自然の摂理だ。
一時的な場所に「永遠の愛」を持ち込むから、去り際に歪みが生じ、不必要な絶望を味わうことになる。
3. 世界的権威に向けられた「Door is over there」の真実
私が会社愛を語らない決定的な理由がある。 それは、**「会社という組織(システム)は、あなたが思っているほど、あなたを愛してはいない」**という冷厳な事実だ。
どれほど貢献しようが、成果が出なければ契約は打ち切られ、グローバル本社の業績が悪化すれば、エクセルの行を消すように現場の予算と人員は削られる。そこに感情の入る余地はなく、あるのはただ無機質な合理性だけだ。
忘れられない出来事がある。 かつて私の同僚に、ある技術分野で「世界的権威」と呼ばれる人物がいた。長年にわたり会社のブランドを牽引し、莫大な利益をもたらしてきた彼が、ある日突然、会社を去ることになった。
私は彼と酒を飲み、思わず「会社から強い引き留めはなかったのか?」と聞いた。 彼は、少し寂しそうな、しかし達観した苦笑いを浮かべてこう言った。
「ああ、会社からはこう言われたよ。『Door is over there.(出口はあちらです)』とな」
それ以上でも、それ以下でもない。 どれほどの天才であっても、どれほど過去に貢献しようとも、システムにとって不要になれば静かにドアを指し示される。これが、組織の「本当の声」だ。
4. 冷徹な現実が、演者をプロフェッショナルとして自由にする
世界的権威に対してすら、会社はこう振る舞う。 その事実を目の当たりにしたとき、私は一つの確信を得た。
「会社を愛さない」というのは、決して冷たい生き方ではない。 会社が本質的に冷徹な存在であると骨の髄まで理解しているからこそ、私は一人の演者として、組織に依存しない自立した姿勢を保つことができるのだ。
- 会社に幻想を抱かない。
- 会社に自分の人生を依存しない。
- その代わり、舞台の上にいる間は、自身のプライドを懸けて全力で演じ切る。
それが、真のプロフェッショナルとしての誠実さだと思っている。
まとめ:感謝はする。だが、決して寄りかからない
私は、明日この舞台を去ることになっても、これまで得た経験への深い感謝とともに一礼し、静かに「Over there」にある出口へ向かう準備が常にできている。
「会社愛」という曖昧で都合の良い言葉に身を委ねるのではない。 圧倒的なパフォーマンス、共に働く者への敬意、そして去り際の美しさを選ぶ。
それが、外資系という理不尽な荒波の中で22年間、私が何よりも大切に守り続けてきた「静かな生存戦略」である。
玄水
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