日本で働いていると、多くの人が一度は、同じ違和感に行き当たります。
「これだけ頑張っているのに、なぜ楽にならないのか」
「成果は出しているはずなのに、なぜ消耗し続けるのか」
最初は、誰もが自分を疑います。
能力が足りないのか。努力が足りないのか。考え方が甘いのか。
しかし、この連載の結論を先に述べておきます。
その問いの立て方自体が、すでに“構造の内側”にある。
問題は、あなたではありません。
日本型の仕事と組織そのものが、
人を消耗させながら維持される前提で組み上げられているのです。
このシリーズでは、日本型サラリーマンが無自覚のまま参加させられている
**「終わらない消耗戦」**の正体を、
感情論でも精神論でもなく、構造として解体していきます。
「消耗戦」とは何か
ここで言う「消耗戦」とは、
単なる長時間労働や低賃金の話ではありません。
たとえば、こんな状態です。
- 頑張っても、評価基準がはっきりしない
- 正解が示されないまま、努力だけを要求される
- 失敗の責任は個人に集中し、成功の果実は組織に回収される
- 限界まで耐えても、「自己責任」で処理される
- 現状維持のために全力を出し続け、蓄積が残らない
- 本来は手段であるはずの「頑張り」が、目的化している
これらが慢性化し、
**「そういうものだ」「仕方がない」**として受け入れられている状態。
それが、この連載で扱う「消耗戦」です。
特に厄介なのは、多くの人がこの構造を異常だと認識する前に、
「自分が弱いだけ」
「耐えられないのは未熟だから」
と、内面化してしまうことです。
境界線に立ったとき、はっきり見えたこと
私は22年以上、外資系企業という異なる論理の世界に身を置きながら、
同時に、日本的な現場とも関わってきました。
その境界線に立ったとき、はっきり見えたのは、
日本型組織に特有の、説明のつかないほどの消耗の多さでした。
- 個人の資質では説明できない
- 努力の量でも説明できない
- 成果の大小とも必ずしも連動しない
構造でしか説明できない消耗が、確かに存在していました。
なぜ、人は疑問を持たなくなるのか
日本社会では、次の価値観が深く刷り込まれています。
- 我慢は美徳
- 努力は必ず報われる
- 文句を言う人間は未熟
- 空気を読むのが大人
これらは一見すると、正しく、健全に見えます。
しかし同時に、報われない構造を温存する装置としても機能しています。
問題が起きたとき、
「制度がおかしいのでは?」
ではなく、
「自分が足りないのでは?」
と考えるよう、人は無意識のうちに訓練されていく。
こうして疑問は個人の内側に封じ込められ、
消耗戦は誰にも止められないまま、再生産されていきます。
このシリーズで扱うこと
この連載では、次の問いを一つずつ解体していきます。
- なぜ日本の仕事は「努力=成果」になりにくいのか
- なぜ「空気」が意思決定を代行するのか
- なぜ責任は常に曖昧なままなのか
- なぜ真面目で優秀な人ほど、先に壊れていくのか
- なぜ最後まで残った人に、救済が用意されないのか
そして最終的に、
なぜ「抜けた人」だけが、楽になるのか
という地点まで辿り着きます。
読者への約束
誤解のないように言えば、
私は日本社会を一括で断罪するつもりはありません。
特定の企業や個人を攻撃する意図もありません。
また、このシリーズは
転職ノウハウでも、成功体験の共有でもありません。
扱うのは、
「この構造の中で、人はどう消耗させられるのか」
という事実です。
そのため、次のことを約束します。
- 精神論で押し切らない
- 根性論でまとめない
- 「頑張れ」で終わらせない
そしてもう一つ。
安易な希望や慰めも、用意しません。
消耗戦に巻き込まれていると気づいた瞬間から、
人は初めて「選択肢」を持ちます。
ただしその選択肢は、必ずしも楽なものではありません。
それでも、
「自分が悪い」という思考から降りること。
それが、この連載の出発点です。
次回は、
なぜ日本の仕事は、努力しても報われにくいのか。
その構造を、さらに具体的に掘り下げていきます。
玄水
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