日本の会社で「挑戦できない」「身動きが取れない」と感じるサラリーマンは多い。
米ギャラップ社の調査によれば、日本の企業で「熱意あふれる社員」の割合はわずか5%にとどまり、世界最低レベルを記録し続けている。だがそれは、本人の覚悟や勇気が足りないからではない。
そもそも日本企業は、人をどう配置し、どう使い、どう育てるかを“戦略”として設計していない。 その結果、挑戦は起きず、専門性は育たず、人は静かに消耗していく。
その象徴が、人事異動の場面で頻繁に使われる「適材適所」という、あまりにも便利で、あまりにも中身のない言葉だ。今回は、外資系企業で20年以上、日本・東南アジア・中国の実務を見てきた視点から、日本型人事の構造的欠陥と、そこから資本を守る戦略を解剖する。
1. 「駒として動く」ことを前提にした沈黙の契約
日本型組織(メンバーシップ型雇用)において、社員は暗黙のうちに「会社の駒として動くこと」を求められる。
配置転換(ジョブローテーション)に従うことは忠誠心の証であり、拒否することは「協調性がない」「扱いづらい」という評価に直結する。その先にあるのは、露骨ではないが確実に圧をかけてくる空気だ。私自身、日系メーカーに身を置いていた時代に、この理不尽を現実のシステムとして経験した。
本来、人員配置というものは以下のようにあるべきだ。
- 成長する事業・注力領域にリソース(人)を投じる
- 衰退が見えている事業への配置は極力抑え、慎重に行う
これは経営以前の、極めて基本的な投資判断である。 しかし実際には、社内政治、部門間のメンツ、そして「目の前の空いた穴を埋める」ことが最優先される。結果として、人は将来性の乏しい部署や、本人の専門性と全く無関係な場所にも、何のためらいもなく玉突きで配置される。
最も残酷なのは、その“先”だ。 衰退事業に送り込まれ、新しいスキルを身につける機会を奪われたまま、事業撤退のタイミングで「整理対象」になる。会社の場当たり的な判断が、個人のキャリアと人生を直撃する。これが、日本型配置の現実である。
2. 外資系は「椅子」を定義する。日本は「人」に椅子を合わせる
一方で、外資系企業の配置思想は驚くほど単純だ。 起点は常に「ポジション(椅子)」である。
- この役割に必要なスキル・経験は何か
- どんな成果(KPI)が求められるのか
まず椅子(Job Description)を厳格に定義し、その条件に完全に合致する人間だけを座らせる。
私が現在所属する外資系企業でも、APAC(アジア太平洋)エリアの再編に伴い、「A部署は縮小による人員整理」「B部署は拡大による新規採用」が同じ時期に同時に行われることは珍しくない。A部署の人間をB部署にスライドさせるような温情(玉突き人事)は存在しない。
冷酷に見えるかもしれない。しかし、プロフェッショナルとして働く人間は、このルールを最初から理解している。会社に守られる前提ではなく、自分の専門性という武器で労働市場に立つという覚悟があるからだ。
一方、日本型組織は逆である。 まず「人(正社員)」がいて、その人を雇用し続けるために椅子を歪め、無理やり仕事を作り出す。結果として、誰のための仕事なのか分からない「謎のポジション」が量産されることになる。
3. 最新トレンドの罠:「名ばかりジョブ型」が加速させる消耗
昨今、日本企業でも「ジョブ型雇用」の導入が叫ばれている。経団連もこれを推進しているが、実態は極めてお粗末だ。
多くの日本企業が導入しているのは、評価制度だけをジョブ型っぽく見せかけ、肝心の人事権(配置転換の権限)は依然として会社側(人事部)が握り続けている「名ばかりジョブ型」である。
ポジションが空いたから社外からプロを呼ぶのではなく、結局は社内の「異動させやすい人」をはめ込むだけだ。これでは、社員側は「専門性を高めろ」と要求されながら、会社都合で全く別の部署へ飛ばされるリスクを抱え続けることになり、消耗はむしろ加速する。
4. 「できない仕事を、できるまで」という名の消耗装置
「人が先、仕事は後」という配置が当たり前の環境下では、何が起きるか。 できない仕事を、できるまでやらされるのだ。
現場では、教える側も、教わる側も真面目だ。血の滲むような努力もしている。だが、これは教育でも成長でもない。それは精神と自尊心を削り続けるだけの消耗装置に過ぎない。
このミスマッチは、決して本人の能力不足ではない。明確な配置戦略の欠如という、組織側のシステムの失敗である。合わない椅子に座らされ続けた人は、常に違和感を抱え、やがて「自分が悪いのではないか」と自己否定を始める。
違和感と自己否定。これほど静かで、確実に人間の資本(気力・判断力)を削るものはない。
5. 結び:会社にキャリアの主導権を渡さない「静かな生存戦略」
戦略なき空き枠補充によってキャリアを分断され、専門性を育てる機会を奪われた社員に対して、会社は最後にこう言う。
「育成の機会は提供してきた」 「成長できなかったのは本人の責任だ」
配置は帳尻合わせ、仕事はミスマッチ。それでも責任は個人に転嫁される。これが、日本型組織における「適材適所」と「育成」という言葉の正体である。
この構造的欠陥が蔓延する環境下で、40代・50代が生き残るための「静かな生存戦略」は一つしかない。会社にキャリアの主導権を預けることを今すぐやめることだ。
- 市場価値の客観視: 自分が今持っているスキルは、社外(ビザスク等のスポットコンサルや転職市場)でいくらの値がつくのかをテストする。
- 資本の防衛と分散: 会社の給与だけに依存せず、副業や堅実な投資(インデックス、金など)によって、会社と距離を置けるだけの経済的基盤を構築する。
会社はあなたの人生のポートフォリオの一部に過ぎない。合わない椅子に座らされて消耗する前に、自らの足で立つ準備を静かに始めるべきだ。
玄水
コメント