「接待の武器」を捨てるという決断
かつて、「接待こそ営業の主戦場」と言われた時代があった。 私も営業人生の最初の数年間は、社内外の飲み会に頻繁に参加し、グラスを交わして親睦を深めることが、ビジネスを円滑に進める最適解だと信じて疑わなかった。
しかし、私は15年前、あえてその武器を完全に手放した。
近年、欧米のビジネスパーソンを中心に「ソーバーキュリアス(あえて酒を飲まないライフスタイル)」がトレンドとなっているが、私が断酒に踏み切ったのは、流行などではなく「実務上の危機感と責任」からだった。
きっかけは定期健診で発覚した「軽い脂肪肝」だ。当初は短期間だけ控えるつもりだったが、酒を抜いた日々が続くにつれ、私は自分自身のパフォーマンスに劇的な変化が起きていることに気づいた。
- 毎朝の圧倒的な爽快感と初動の速さ
- 日中の集中力・タスク処理効率の向上
- 家族の急なトラブル(子供の送迎など)への完全な即応体制
完全断酒を決意したのは、父親としての責任を果たすためであり、同時に、グローバル営業の最前線で常にベストパフォーマンスを発揮するための極めて合理的な経営判断だった。
脳の「濁り」が消える。グローバル営業で実感した3つの覚醒
私の主戦場は、タイ、インドネシア、ベトナムなど東南アジア各国を飛び回る海外営業だ。かつての出張では、現地のエージェントや顧客と深夜まで酒を交わすのが「仕事の一部」だった。 しかし、その代償として一日の振り返りはできず、翌朝は重い頭のまま次の顧客訪問へ向かうという悪循環に陥ることもあった。
酒を断ってから、脳を覆っていた「濁り」が完全に消え去った。実務において、その恩恵は計り知れない。
1. 瞬時の言語切り替え(日・英・中)の精度向上
複数の国境を越え、日本語、英語、中国語をシームレスに切り替えながら技術的な商談を行う際、脳のわずかな疲労やタイムラグは命取りになる。断酒により、この言語の切り替えが瞬時に、かつ精密に行えるようになった。
2. 翌朝の戦略構築と準備の質
深夜の会食をノンアルコールで乗り切ることで、ホテルに戻ってからその日の商談の議事録をまとめ、翌日の戦略を練る「静かな時間」を確保できるようになった。このサイクルの確立が、出張の投資対効果(ROI)を飛躍的に高めている。
3. 交渉における判断スピードの向上
アルコールというノイズがない脳は、常にクリアだ。複雑な利害が絡む交渉の場でも、相手の意図を正確に読み取り、即座に最適なカードを切ることができるようになった。
『老子』に学ぶ「静則正」――飲まない営業の戦い方
古代中国の思想書『老子』の中に、次のような言葉がある。
「静なれば則ち治まる(静則正)」
これは、まさに断酒がもたらす境地を象徴している。 酒をやめることで、心に雑念や感情のブレがない「静けさ」が生まれる。この静けさこそが、不確実で複雑なビジネス環境を生き抜くための最強の武器となるのだ。
私が「酒は飲まない」と公言し、それを貫くことで、現場にはある変化が起きた。 無駄な気遣いや、アルコールに依存した表面的な付き合いが消滅し、お互いが「目の前の仕事の本質」のみに集中して対峙できる環境が構築されたのである。 顧客からの理不尽な要求にも感情的にならず、「上善如水」のごとく柔軟かつ冷静に対処することで、結果として強固な信頼が積み重なっていった。
結び:禁酒は人生の密度を変える「未来への投資」
誤解してほしくないが、禁酒は単なる「我慢」や「苦行」ではない。 自分の脳をクリアに保ち、決断の自由度を最大化するための、最も費用対効果の高い「未来への投資」である。
決断のスピードが上がれば、仕事の質が変わり、人生の密度が劇的に濃くなる。 40代、50代とキャリアを重ね、背負うものが大きくなる年代にこそ、自分の「脳と時間の明晰さ」に投資する価値がある。
惰性の習慣を断ち切り、静かな心でビジネスの荒波に立ち向かう。それもまた、一つの有効な生存戦略である。
玄水
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