「もっと新しいスキルを」「もっと多くの資産を」「もっと広い人脈を」。 多くのビジネスパーソンが、まるで強迫観念に駆られるように、人生のバックパックに何かを詰め込み続けている。
かつての私も例外ではなく、足し算こそが成長だと信じて疑わなかった時期がある。しかし、外資系企業という徹底した合理性が支配する空間で22年、そして冷酷な相場と向き合う投資の世界で35年を生き抜いた今、私が辿り着いた結論は真逆である。
40代・50代からの人生を強靭にするのは、「足し算」ではなく「引き算」だ。
生成AIが瞬時に答えを出し、これまでの知識やスキルが陳腐化していく2026年現在。迷いの多い現代だからこそ、私は時代を超えた古典の知恵――「上善如水」の思想の中に、キャリア・投資・健康における「最短で、最善の選択」を見出している。
今日は、私の生き方のコア・アルゴリズムとなり、迷いを静かに浄化してくれた「引き算の哲学」について解説したい。
「上善如水」が教える、執着を手放す冷徹な合理性
老子の言葉に由来する「上善如水」は、単なる綺麗な道徳論ではない。
「上善は水の如し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」
水は万物に利益を与えながらも無駄な争いを避け、誰もが嫌がる低い場所へと流れていく。この「形を持たない、水のような生き方」こそが、外資という激動の環境で私が壊れずに生き残るための、最も合理的で強力な武器だった。
引き算とは、本質以外を捨てることだ。
- 無駄なプライドを削ぎ落とす: 社内政治や他者とのマウント合戦から降りる。
- 複雑な投資手法を削ぎ落とす: 予測不可能な短期トレードを捨て、勝率の高い長期・インデックス投資(とゴールド)に絞る。
- 身体に毒な習慣を削ぎ落とす: 酒を絶ち、体重をコントロールし、プロとしてのパフォーマンスを保つ。
本質以外をすべて削ぎ落としたとき、あなたの戦略は派手さを失う代わりに、極めて静かで、かつ破壊されにくい確実なものへと変わる。
古典を「現代の生存戦略」として再定義する
今回、この「引き算の哲学」を実践するためのツールとして、単なる古典の解説書ではなく、現代のビジネスパーソンに即効性のある一冊を紹介したい。
それは中国・明の時代に書かれた『菜根譚(さいこんたん)』である。
「上善如水を語るなら、なぜ『老子』そのものではないのか?」と疑問に思う方もいるだろう。
確かに、老子や荘子の思想は東洋古典の絶対的な根幹である。しかし、私に言わせれば、それらはあまりに完成度が高く、浮世離れしすぎている。現代の資本主義社会で泥まみれになっている私たちがそのまま実装するには、少々ハードルが高すぎるのだ。
一方、『菜根譚』は違う。 この書物は、老荘思想の「執着を捨てるしなやかさ」と、儒教の「現実社会での処世術(人間関係の泥臭い対処法)」が、実務家レベルで絶妙にブレンドされている。
言い換えれば、『菜根譚』は「理想を失わず、いかにして泥臭い現実社会で実利を勝ち取り、生き抜くか」という、極めて実践的なデータ集なのである。
外資と投資の最前線で、私が立ち戻る場所
外資系という理不尽なリストラが常態化する競争社会で。 そして、資産が乱高下する波乱の市場の中で。
情報過多に陥り、判断基準を見失いそうになるたび、私はこの『菜根譚』の思考回路に立ち戻ってきた。すると不思議なことに、今抱えている問題に対し「何を足して解決すべきか」ではなく、「何を手放せば楽になるか(本質に近づくか)」が、自然と見えてくるのだ。
結び|迷いの正体は「捨てる基準」の欠如である
現代人が抱える迷いの正体は、「選択肢が多すぎるから」ではない。自分の中に、「情報を削ぎ落とす冷徹な基準」がないからだ。
人生の後半戦において、重い荷物を背負い続けることは致命的なリスクとなる。 あなたも「水のようにしなやかで、しかし決して折れることのない強さ」を手に入れるために、不要なものを手放してみてはいかがだろうか。
このブログ『玄水』では、私が35年かけて実地で検証してきたデータから導き出した「静かな生存戦略」を、これからも包み隠さず共有していく。
無駄な戦いを避け、共に静かに、そして力強く生き抜こう。
玄水
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